赤土等流出問題は、沖縄本島北部や八重山諸島で、山地を開拓してパインアップルを栽培し始めた、昭和30年代ごろから目立ってきました。
沖縄県が日本に復帰した昭和47年(1972年)の本土復帰以降は、沖縄の土壌や気象、地形的な特性を考慮せず本土の開発方法で行われた開発工事によって、雨が降るたびに大量の赤土等が海に流れ出ました。
さらに米軍の実弾砲撃演習等によって、山地の表土がむき出しになった所も流出源の一つにつながりました。
この頃から、水産業関係者を中心とした赤土等流入規制への機運が高まり、平成6年(1994年)には「沖縄県赤土等流出防止条例」が制定されました。
この条例は、工事に伴って発生する赤土等の流出を規制するとともに、農地の営農行為を含む土地の適切な管理を促進することなどによって、赤土等の流出による水質汚濁の防止を図っています。